SOWACAFE DIARY

自家焙煎 真岡珈琲豆舎 ソワカフェ の日記

"I do not consider the sale complete until goods are worn out and costomer still satisfied."  - Leon Leonwood Bean 1916
「私は売れた商品がボロボロになるまで使われ、なおかつお客様がその時点で満足していることで物販は成立すると考える。」  - レオン・レオンウッド・ビーン (1916年)

 ■出店予定日時、場所は、ホームページに記載致しますのでご覧ください。→【こちら

つぶやき

twitterのタイムラインにはまったく乗れないのですが、tweet-mailというやつで、なんとか少しだけ追っかけています。
□と、言うわけで、y_tambe氏のつぶやきを転載させていただきます。

  • テロワール? ミクロクリマ? いや、むしろ一本一本の樹で違って、とか、一粒一粒の実で「違って」‥‥とか、みんな口にする癖に「何がどう、どんなふうに、どれだけ『違う』のか」って語らんのよ。そんなん、何の役に立つのよ?
  • 「標高が高いと、品質が高く」とか、そもそもその「品質」ってものが何なのか、みんな「スペシャルティ」というお題目に目がくらんでしまってるんじゃないか、自分の属するギョーカイで言う「品質」ってモンの枠でしか、コーヒーを見れなくなってしまってるんんじゃないか。
  • それ以前に、性質と品質の違い、品質と価値の違い、品質と嗜好の違いを、意識しているのか
  • 「生産する人、焙煎する人、抽出する人……関わった人の顔が浮かぶようなコーヒーを…」…ふむ、あなたはそう思うのかもしれないけど、例えば、淹れた僕の顔なんかよりも、どうせならもっと美男美女の顔を思い浮かべる方が、美味しく飲めるかもしれんよ?
  • 客がどんなこと思い浮かべて飲むのも自由だし、もちろん「関わった人の顔を思い浮かべて飲む」って提案も結構だろうけど、技術者自身は、そういう属人的な要素に目を奪われすぎちゃいかんよね。ただでさえ、プラセボがきつく働く領域なんだし。
  • 「関わった人に敬意を払う」、うん、確かにそれも大事。だけど、もっと別にも向き合うべきものはあるんじゃないの? コーヒーだよ、コーヒー。コーヒーそのものにまず向き合わなきゃ、コーヒーが不憫だ。
  • もちろん、「コーヒー屋」ってのは、技術者であると同時に、商売人でもある。そのどっちの面が欠けても、「コーヒー屋」としてやってくことは難しいのだと思う。そして、商売人ならとりあえず「人」を相手にやってけば務まるだろうし、実際、そういう「コーヒー屋」ばかりが増えてるのだろう。
  • 結局のところ、僕が携わってる「コーヒーの科学」ってのは、技術者のための側面が大きいわけで、そっち側にどうしても肩入れする比重が増大してしまうわけだけどね。
  • んで多分、コーヒーを相手にするよりも、ヒトを相手にする方が、大変だろうと思ってはいるのだけどね。

□熱くて良いですね〜。 
□私的には、今の日本の、珈琲とそれをとりまく文化には、チャンスの芽がたくさんある、私にもできる、やれることがまだまだたくさんありそうだ、と読んでいるわけなのですけどね。もったいないです。
□y_tambeさんには怒られちゃうかもしれないけど、私は、珈琲そのものが最終到着地点ではないと思っています。もっと言ってしまえば、私は、珈琲は大変有効な”tool”だと今のところ位置づけています。珈琲以外にそんなtool、私は持っていませんが。
□珈琲とともに過ごす時間、珈琲があるから振り返り、夢見られる時間と環境(自宅でもOK)、そして人生、を私の周りの人々に提案、提供するのが私の目指すところだと思うのですが、、、技術も商売も、toolかも、、、まあ理想論ですね〜。甘すぎか。