20110311_東日本大震災_栃木県真岡市の一部の自分自身で確認した様子_3/15_【11:00更新】
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■私の現在滞在している北関東の栃木県の南東部、主に真岡市の様子をお伝えします。(逐次少しずつ更新させていただきます。)
□ここに掲載する情報は基本的に、あくまで私が自分自身で目撃体験した一次情報のみですので、全体像を示したものではありません。二次情報、伝聞情報は最小限にとどめ、情報発信源を明記します。
□当Diaryでは、無用な危機感、パニック的な行動、デマ的な真偽不確実な二次三次情報の発生を避けるよう、注意して情報を発信します。
■3/15(火)(本日)_10:30現在、栃木県真岡市の私の滞在している地域では停電はしていません。水道水の濁りもなくなり、新聞もきています。(一次情報)
■2011/03/14(月)(昨日) 18時前、宇都宮から真岡に移動しました。
【以下、私的感想が含まれます。客観化に勤めますが、もちろん主観が含まれています。】
□なんか、印象だけど、宇都宮は本日見たところでは、平常の日常生活とほぼ変わりないみたいですねぇ、、、驚きました。
□私の通った経路においては、鬼怒川西岸(宇都宮側)では、屋根瓦落ちてるところ、大谷石壁の倒壊なども私の見た限り、見当たりませんでした。(当地では、大きな河川である鬼怒川が、北から南に流れています。私の所在地は、鬼怒川より東側です。)
□私の通った経路においては、鬼怒川の西側、東側で災害の程度に違いがあるみたいですね。
□宇都宮のベルモールのヨーカドーに14日(月)12時半ごろ行ったのですが、人出も通常レベル、レジも並んでないし、クレジットカードも使えました。
- 購入制限も無く、いくらでもかえるみたいでした。人々の様子も特にあせった様子もなく、普段と同様でした。生鮮食料、果実野菜類、肉類、なども見た目普通に陳列されていました。
- 清涼飲料水お茶などの2Lペットボトル、乳製品、ビールや酒類、ティッシュ、オシメ類、などなども山積みになっていて品薄な感じは受けませんでした。
- お米も積んで売っていました。ナッツ類、ビスケット類、シリアル類、チョコレートやお菓子類、お餅の在庫も平常な感じに陳列されていました。
- いつもと違うかな、ってところは、冷凍食品系は少な目みたいだったですね。停電で溶けちゃったのかも。でもアイスはたくさんありました。
- 乾電池類はまだあったけどもうすぐ品切れって感じでした。ろうそく、ポリタンは見あたりませんでした。
- レトルト系、アルファ米、缶詰系は品薄気味でした。
□来客の人々にも危機感感じなくて、いつもと同じのんびりモード。どこのお店のほうが何円安いとか、今はどうでもよいような会話が聞こえていました。
□備蓄用買出しっぽい人はほとんど見かけませんでした。 そんなもんなんですね〜。
■品揃えの程度は確認していませんが、私の通った経路近隣の鬼怒川西側では、ほぼすべてのコンビニ通常営業していました。開店閉店時間はわかりません。東側では、一応あけてはいるようでしたが、電気暗く、何か購入制限しているのかな、、、と言う印象でした。品揃え、購入数制限などは不明です。
■道路状況は、朝9時ごろ真岡→宇都宮、17時前後宇都宮→真岡移動したのですが、ぜんぜん渋滞などありませんでした。新四号80km/h程度で流れていました。
■ガソリンは、朝9時ごろはジョイ本ちかくのGSが開いており、おそらく50台以上並んでいました。
□ ↑ 帰りには閉まっていました。17時時点では私が通った道(柳田街道、新四号、インターパーク、宮岡橋、亀山街道ではGS一軒も開いて無かったです。
□一軒軽油のみ給油可能の店があり、トラックが30〜50台ぐらい並んでいました。
■宇都宮市内では、一部のパチンコ屋のネオンさえも点いていました。なんだかな〜。
■(以下私事ですが、)14日、やっと、処方箋を出してもらえて、薬局も開いていてくれたので、薬を入手できました。助かった〜。
□帰宅して即飯食べて、ロヒプノール多めに飲んで、12時間ぐらい寝ちゃいました。やっと眠れました。体が復調してきた感じです。